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芳野裕生(よしのゆうき) | 京都・奈良・大阪の葬儀はファミーユ・イマージュホール

スタッフ紹介

芳野裕生(よしのゆうき)

芳野裕生(よしのゆうき)

完璧ではないからこそ、学び続ける


芳野 裕生 

一級葬祭ディレクター(厚生労働省認定・葬祭ディレクター技能審査)


介護の現場にいたから、見えていたものがあった

葬儀の仕事をする前は、介護の世界にいました。介護士として数年働いたあと、特別養護老人ホームとデイサービスで相談員をしていました。


葬儀業界に移ったきっかけは、生活面の事情が正直なところです。子どももいましたし、施設相談員の仕事自体は嫌いではなかったんですけど、このままでは少し難しいなという感覚がずっとありました。


その頃、葬儀社に勤めている友人がいて、仕事はどんな感じかと聞いてみたんです。施設相談員をしていると、利用者さんの通夜に参列することも多く、搬送に来られた葬儀社スタッフとやりとりする機会も少なくありませんでした。だから、全く知らない世界というわけでもなかった。友人の話を聞いているうちに、もう少しちゃんと知ってみようという気持ちになって、葬儀業界に足を踏み入れることにしました

自信を持って案内できる、と思った

葬儀の仕事を一から学んだのは、前職の葬儀会社に入社してからでした。そこで知識も経験もない状態から積み上げていって、葬祭ディレクター1級の資格も取得しました。その後、縁があって花駒に転職することになりました。


転職活動を行う時点で、葬儀業界の流れはなんとなく見えていました。コロナの影響もあり、家族だけで小さく見送る形が増えていくだろう、それはこの仕事をしていれば肌感覚でわかっていました。だから転職するなら、その流れに合った会社がいいとは思っていました。ただ、最初から「家族葬専門の会社を探そう」と絞り込んでいたわけではなく、働きたい地域で転職先を調べていくうちに、花駒のことが目に入ってきた、というのが正直なところです。


見学前から周辺の情報をある程度調べていたので、地域でどこの評判がよいのかも、なんとなく見えていました。その上で実際に花駒を見学させてもらって、驚いたのが祭壇の価格帯でした。これだけの内容で、この価格なのかと。前職の感覚では、花祭壇はもっと高価格帯だという認識があったんです。しかも花駒では、祭壇のお花を切ってそのまま棺にお入れします。準備したお花を棺に入れないわけがない、と当たり前のように言われたとき、葬儀への考え方が自分の知っていたものとは違うんだと感じました。


担当者が内容に納得していないまま案内するのと、自分がいいと自信をもって思えるものを説明するのとでは、きっと伝わり方が違うと思っています。今は、お客様にプランをご案内するとき、きちんと内容や違いをご説明して、納得できるものをお客様が必要とされる形で届けられています。

わからないことが、わからなかった

葬儀の仕事を始めたばかりの頃は、本当に何もわかりませんでした。知識がないのはもちろん、何がわからないのかがわからないという状態でした。


師匠にあたる先輩から「積極性がない」とよく言われていたんですが、では何に対して積極的になればいいのかが、その頃の自分にはよくわからなかった。もたもたしていると「何をしに来てるんだ」と言われる。でも、どう動けばいいかがわからない。そういう日々がしばらく続きました。


そこで自分なりに考えて、とにかく朝早く出社して勉強するところから始めました。専門書を読み込んで知識を吸収して、先輩がどんな動きをしているかをメモして。先輩だけでなく、住職などお葬儀に関わる方々にも聞いてまわりました。「そんなことも知らないのか」と言われることもありましたけど、聞かないことには始まらないと思っていました。


そうやってずっと会社の一番若手として知識と経験を積み重ね、葬祭ディレクター1級に合格したとき、その師匠が初めて「ようやった」と言ってくれました。でも次の言葉は「それがゴールじゃないぞ。ここからがスタートラインや」でした。褒めておいてそれか、とは思いましたけど、その言葉は今でも残っています。


この仕事に完璧な人間はいないと、私は思っています。もう学びきったと言いきれる人は、そこで止まっている人なんじゃないかなと。どれだけ経験を積んでも、まだまだ知らないことは出てくるものです。だから、学び続けられる人の方が、長く伸びると思っています。

大きなつまずきから、もう一度積み上げる

花駒に入ってしばらくした頃、仕事の重みを痛感するような大きな失敗をしました。詳しいことはここでは書きませんが、葬儀という仕事の性質上、あってはならないと自分でも思うことでした。


そのとき、もうこの業界ではやっていけないと思うくらい落ち込みました。職場に来ても居場所がない感覚がずっと続いて、しばらくのあいだ、業務的なことしか話せない時期がありました。


辞めることも考えました。でも、逃げてしまったら同じことを繰り返すだけじゃないかという気持ちもあって。どうせ評価は地に落ちた。だったら、そこからどこまで変えられるかをやってみようと、少しずつ気持ちが切り替わっていきました。


救われたのは、当時から近くにいた同僚の存在です。周囲がどこか腫れ物に触るような空気の中で、変わらず気安く話しかけてくれる人たちがいた。それがすごくありがたかった。彼らがいなかったら、辞めてしまっていたかもしれないと、今でも思っています。


そこからは、がむしゃらにやるしかないと決めました。何か頼まれたら、断らずに積極的に動くことを続け、責任は全て自分にあるという思いで現場に立ち、気づけば受注を担当させてもらえるようになり、チームリーダーという立場になっていました。


今ではあの経験がなければ、今の自分はなかったとも思っています。葬儀の仕事には、ミスが起きないよう一つひとつの確認や判断の重みがあります。だからこそ、一度大きく崩れて、それでも現場に戻ってきた経験は、今も仕事への向き合い方の根っこにあります。

教えるというより、見ている、という感じです

チームリーダーになってから、自分の中で一番変わったのは、目を向ける先のことだと思います。それまでは、自分の仕事をきちんとやり切ればいいという感覚でした。でもリーダーになると、メンバーの状態を見て、その情報を上司とも共有して、メンバーがよりよく動ける雰囲気を作ることが求められます。自分だけではなく、周りのことを考えなければいけない立場になりました。


聞かれたことには答えられますが、教えることは、正直得意ではありません。人を育てることには責任が伴うし、今でも自信があるとは言えないからです。だから私が若手に伝えられるのは、知識よりも、しんどい時期をどう受け止めて、どう動くかということの方が多い気がしています。自分が経験してきた失敗や、立ち直れずにいた時期のことは、若手のメンバーに話すようにしています。


数年前に一緒に仕事をした新卒のスタッフが、今は後輩を指導できるまでに成長しています。私がやったことなんてたいしたことはなくて、本人が努力し続けたからです。ただ、その姿を近くで見てきたことは、自分にとってもうれしいことです。

まだ、わからないことがある。だから、続けられる

リーダーという立場になって、悩むことは増えました。自分の仕事だけを見ていればよかった頃とは求められることが変わり、チームのことを考えながら動くのは、まだうまくできているとは言えない部分もあります。


葬祭ディレクターの仕事を選んだのは、最初から使命感があったわけでも、天職だと思っていたわけでもありません。現実的な理由があって、縁があって、気づいたら積み上げてきた、という感じに近いと思います。


ただ、それでも続けてこられたのは、まだわからないことがあるからだと思っています。どれだけ場数を踏んでも、気づいていなかったことが出てくる。完璧にできているとは思わないし、慢心してはいけないと、失敗の記憶が引き戻してくれます。


気づいたらここまで来た、というのが正直なところです。立派な理由があったわけでも、ずっと自信があったわけでもない。それでも、わからないことがある限り、もう少しやってみようと思える。その積み重ねが、自分の仕事になり、チームの力になり、ご家族を支えることにつながっていくのだと思います。たぶん、それだけで十分なんだと、今は思っています。